八剱八幡神社
名称:八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)
御祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと(應神天皇))
御祭神:息長足姫命(おきながたらしひめのみこと(神功皇后))
御祭神:足仲彦命(たらしなかつひこのみこと(仲哀天皇))
御祭神:素盞嗚命(すさのおのみこと)
御祭神:日本武尊(やまとたけるのみこと)
創建:鎌倉時代初期(1185年(文治元年)以降)
所在地:木更津市富士見1丁目6-15
HP:八剱八幡神社のホームページ
末社:
・三社神社(御嶽神社、三峰神社、稲荷神社)
・祖神社
文化財等:
・格天井装飾画(市指定文化財)
・五大力船(ごだいりきせん)絵馬(市指定文化財)
・嶺田楓江(みねだふうこう)寿碑(市指定文化財)
・徳川家康公寄進の銅鳥(指定文化財)
 当社の社伝によると往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した。
 人皇第12代景行天皇の40年、日本武尊御東征の折り、相模国(神奈川県)より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。そのとき妃橘姫が、「これ尊の相模の地より此の海を望み給ひて、これ小海なり、立跳りにも渡りつべし、とあさみ給ひしに依りて渡津海の神の怒り給ふなり」と海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって御入水あそばれた。そのことにより、尊は無事に此の地にお着きになりましたが、姫の死を悼んでしばらく当社にご滞留になり、此の地を去ることをなさらなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる。
 源頼朝鎌倉幕府開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。
 天正19年徳川家康公社領3石2斗を寄進せられ、御朱印の証を授与される。慶長17年大阪冬の陣が起こると木更津より多くの船頭が召出されて、向井忠勝、小浜光隆軍のもとで目覚しい働きをした。これも八剱八幡神社の霊験加護のたまものであるとして、特に当社の宮司らを駿府城内に招き、銅鳥1隻と銀子を贈り神恩に感謝した。
 宝暦2年に木更津の大火に依り社殿焼失。安永2年に現社殿を再建。寛政9年に社殿修理を加える。大正3年に社殿の大改修をする。また、明治4年には郷社に列せられる。昭和55年の社殿改修に際しては、格天井装飾画(162枚)も復元され、現在は厄除・交通安全・初宮詣・七五三詣・商売繁盛・合格祈願・学業成就等の守護神として鎮座する。
※八剱八幡神社のホームページより。
※詳しくは八剱八幡神社のホームページをご覧下さい。
・パンフレット


・境内案内図

・鳥居

・嶺田楓江(みねだふうこう)寿碑


・祖神社

・三社神社鳥居

・三社神社

・御手水舎


・御神水


・池


・水引飾り


・灯籠

・手前狛犬

・奥狛犬

・御神木

・拝殿

・本殿

・源頼朝お手植えの「蘇鉄」

・神輿殿

・表忠碑

・古神札納め所

・歌手 相川七瀬 氏奉納の「大和橘」

・おみくじ掛け処

・絵馬掛け処

・授与所

・参集殿

・御朱印




