常陸国総社宮
名称:常陸国総社宮(ひたちのくにそうしゃぐう)
御祭神:伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
御祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)
御祭神:邇邇藝命(ににぎのみこと)
御祭神:大国主神(おおくにぬしのかみ)
御祭神:大宮姫賣命(おおみやひめのみこと)
御祭神:布瑠大神(ふるのおおかみ)
御祭神:常陸国諸神
創建:伝承によれば天平年間(729年~749年)
所在地:茨城県石岡市総社2-8-1
HP:常陸国総社宮のホームページ
文化財等:
・常陸総社文書(県指定文化財)
・扁額三十六歌仙絵額(県指定文化財)
・漆皮軍配<伝、太田道灌奉納>(県指定文化財)
・漆皮軍配<伝、佐竹義宣奉納>(県指定文化財)
・随神像(市指定文化財)
約1300年前の7世紀、現在の茨城県は常陸国と呼ばれていました。広大で海山の幸に恵まれたこの国は全六十余国のうち最上の「大国」とされ、常世の国とも称される憧れの聖地でした。
常陸国の中心地である国府があった場所が旧茨城郡、現在の石岡市です。茨城の県名はここに由来します。国府の長官である国司が執務した国衙跡の遺跡は近年の大規模発掘に伴い国指定史跡に登録されました。
国衙の南側にかつて倭武天皇(ヤマトタケルノミコト)が腰掛けたと伝わる「神石」があります。日本百名山の一つ「筑波山」、日本第二の湖「霞ヶ浦」の悠々たる美景を同時に望めるこの場所に創建された「総社」が常陸国総社宮です。
総社とは、それぞれの律令国に鎮まる八百万の神々を国衙近くの一ヶ所に合祀した神社であり、全国で55社が確認されています。国司たちは総社を拝することで自らが治める国の数多の神々に祈りを捧げたのです。徳川光圀が『大日本史』編纂のために参照したと伝わる社宝「総社文書」は連綿と続く当宮の歴史を今に伝えています。
現在の石岡市が府中松平藩と呼ばれていた江戸時代末期、藩主・松平播磨守に仕えた手塚良庵という藩医がいました。世界的な漫画家・手塚治虫先生のご先祖です。常陸国総社宮では当地と手塚先生の御縁にちなみ、風土記勅撰千三百年の平成25年、手塚プロダクションの協力を得て先生の作品を象った授与品の頒布を開始しました。
※常陸国総社宮のホームページより。
※詳しくは常陸国総社宮のホームページをご覧下さい。
・境内案内図

・鳥居

・石灯籠

・鳥居脇石碑

・参道(其の一)

・参道途中木製神社案内碑

・参道(其の二)

・参道途中の土俵

・土俵奥祠と禊場

・御手水舎


・神輿舎

・随神門

・随神門内随神像案内版(向かって右:左大臣、向かって左:右大臣)※暗くて上手く写真が撮れなかったので案内版)

・境内社「香丸稲荷神社、星宮神社」

・境内社「愛宕神社・厳島神社」

・境内社「愛染神社」

・境内社「松尾神社」

・絵馬奉納所

・日本武尊腰掛石

・神井戸

・社務所

・神楽殿

・拝殿前狛犬

・拝殿

・本殿

・御神木「楠」

・神武天皇遥拝所

・本殿裏御神木

・十二末社(向かって右から武甕槌神、宇気母遅神、誉田別命、菅原道真神、少彦名命、木花咲耶媛命、大己貴命、経津主神、高龗神、猿田彦命、大山祇神、須佐之男命)

・第一駐車場から直接拝殿、本殿へ向かう「令和坂」



・旧参道社標石

・旧参道鳥居

・旧参道「男坂」




・御朱印

・手塚治虫御朱印
