香取神宮
名称:香取神宮
御祭神:経津主大神(ふつぬしのおおかみ)<又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)>
創建:神武天皇18年(紀元前643年)
所在地:千葉県香取市香取1697
HP:https://katori-jingu.or.jp/
文化財:
・海獣葡萄鏡(国宝)
・本殿(国指定重要文化財)
・拝殿(国指定重要文化財)
・幣殿(国指定重要文化財)
・神饌所(国指定重要文化財)
・楼門(国指定重要文化財)
・古瀬戸の狛犬(国指定重要文化財)
など多数所有
太古の昔、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、葦原中国(あしはらのなかつくに・ 現在の日本)は自分の息子が治めるべきだと考え、荒ぶる神々が争い乱れていたため、八百万神(やおよろずのかみ)に相談し天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、天穂日命は大国主神の家来になってしまいました。次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、天稚彦もまた大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として自ずから国を乗っ取ろうとし、天照大神の元に戻りませんでした。
このようなことが二度つづいたので、天照大神が八百万神にもう一度慎重に相談すると、神々が口を揃えて、経津主神(ふつぬしのかみ)こそふさわしいと言いました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ・鹿島神宮の御祭神)も名乗り出て、二神は共に出雲に派遣されることとなり、出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲り、二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、天照大神の元へ復命され、経津主大神は香取神宮の御祭神、武甕槌大神は鹿島神宮の御祭神となりました。。
詳しくはホームページをご覧下さい。
・案内図
・山門
・参道
・総門
・楼門
・拝殿・本殿
・要石
・奥宮
・御朱印