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・寺社仏閣好きな管理人が実際に訪れたところをまとめた記録です。
・カテゴリーは都道府県別/神社仏閣別にまとめています。
・訪れた場所はまだ少ないですが徐々に増やしていきます。

西徳寺

正式名称:光照山(こうしょうざん) 西徳寺(さいとくじ)
宗派:真宗佛光寺派(しんしゅうぶっこうじは)※浄土真宗の一派
御本尊:阿弥陀如来(あみだにょらい)
創建:寛永五年(1628年)
所在地:東京都台東区竜泉1-20-19
HP:西徳寺のホームページ
文化財:
・木造阿弥陀如来立像(区指定文化財)
・木造聖徳太子孝養像(区指定文化財)

西徳寺は寛永五年五月、当時新興都市であった江戸における佛光寺門徒の聞法道場として、 金助町(現在お茶の水に近い本郷近辺)に建立された。徳川幕府三代家光の時に当たる。
初代の住職は新潟県寺泊の名刹「聖徳寺」住職の次男、釈善如法師が本山の命を受けて就任している。
ところが建立されてからわずか五十年の間に三回の火災に見舞われてしまう。この三回の火災の中には八百屋お七 で有名な「振り袖火事」も含まれているが、そのたびごとの再建の為、すっかり疲弊してしまう。
この土地にいては再び同じ憂き目に遭うと住職・檀信徒が協議の上、当時まだ江戸郊外であった龍泉(現在の場所) に移転することになった。時に天和三年(1683)四月のことであった。
当地に落ち着いて十一年目、奈良の法隆寺が破損のひどい伽藍がらんの大修復用資金集めのため、はるばる 江戸において出開帳を行う話が持ち上がり、千年の歴史を持つ法隆寺の数々の秘宝を運ぶことになり、 管長をはじめ総勢七十余名が奈良を出発、その道案内を兼ね先導されたのが法隆寺近くにある仏光寺派の名刹上牧 の光専寺七代目の住職、川端永傅師でありその最初の3日間の宿所が西徳寺であったと法隆寺の古記録に残っている。

※西徳寺のホームページより
※詳しくは西徳寺のホームページをご覧下さい。

・パンフレット

・正面

・山門

・山門脇の人間国宝「第17代中村勘三郎」石碑

・蓮華堂(第二会館)

・寺務所(第一会館)

・天水桶(左右対)※歌舞伎役者 初代 中村吉右衛門 寄進

・本堂

・水屋

・顕彰碑

・歌舞伎「中村屋」の墓

・御朱印

13 東京都,仏閣

Posted by master