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・寺社仏閣好きな管理人が実際に訪れたところをまとめた記録です。
・カテゴリーは都道府県別/神社仏閣別にまとめています。
・訪れた場所はまだ少ないですが徐々に増やしていきます。

寛永寺 不忍池辯天堂

正式名称:東叡山寛永寺円頓院 不忍池辯天堂
宗派:天台宗
創建(寛永寺)   :寛永2年(1625年)
建立(不忍池辯天堂):寛永年間(1625年~1643年)
所在地(不忍池辯天堂):東京都台東区上野公園2-1
HP:寛永寺のホームページ
HP:不忍池辯天堂のホームページ
文化財(不忍池辯天堂):

寛永寺は天台宗の別格大本山のお寺です。
寛永2(1625)年に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正によって建立されました。
後には第四代将軍・德川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。また東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となったのです。
しかし幕末の上野戦争により、敷地の大部分が上野公園となりました。
また関東大震災や太平洋戦争の被害もありましたが、戦後は新たに霊園を造営し一般のお檀家さまを受け入れるなど、開かれたお寺としての役割を果たすことを目指しています。

<不忍池辯天堂>
不忍池(しのばずのいけ)辯天堂(べんてんどう)は、江戸初期の寛永年間に、天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正(1536~1643)によって建立されました。
天海大僧正は、「見立て」という思想によって上野の山を設計していきました。これは、寛永寺というお寺を新しく創るにあたり、さまざまなお堂を京都周辺にある神社仏閣に見立てたことを意味します。例えば「寛永寺」というお寺の名称は、「寛永」年間に創建されたことからついたのですが、これは「延暦」年間に創建された天台宗総本山の「延暦寺」というお寺を見立てたものです。
こうして天然の池であった不忍池を琵琶湖に見立て、また元々あった聖天(しょうてん)が祀られた小さな島を竹生島に見立て、さらに水谷伊勢守(みずのやいせのかみ)勝隆(かつたか)公と相談して島を大きく造成することで竹生島の「宝厳寺(ほうごんじ)」に見立てたお堂を建立したのです。
琵琶湖と竹生島に見立てられたお堂であったため、当初はお堂に参詣するにも船を使用していたのですが、参詣者が増えるにともない江戸時代に橋がかけられました。
昭和20年の空襲で一帯は焼けてしまいましたが、お堂は昭和33(1958)年に復興し、また昭和41(1966)年には芸術院会員であった児玉希望(こだまきぼう)画伯による龍の天井絵が奉納されました。

※ホームページより転載
※詳しくはホームページをご覧下さい。

・山門/灯籠

・御手水舎

・大黒天堂

・本堂前常香炉

・本堂

・鳥塚

・包丁塚

・本堂奥から望む不忍池

・暦塚

・いと塚

・スッポン感謝之塔

・扇塚

・地蔵菩薩

・八橋検校顕彰碑

・十二世世杵屋六三郎讃碑

・ふぐ供養の碑

・芭蕉翁の碑

・長谷川利行碑

・めがね之碑(徳川家康所持の眼鏡)

・不忍池塔

・御朱印

13 東京都,仏閣

Posted by master