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・寺社仏閣好きな管理人が実際に訪れたところをまとめた記録です。
・カテゴリーは都道府県別/神社仏閣別にまとめています。
・訪れた場所はまだ少ないですが徐々に増やしていきます。

吉田神社

名称:吉田神社(よしだじんじゃ)
御祭神:日本武尊(やまとたけるのみこと)
創建:不明(顕宗天皇(485年)と仁賢天皇(498年)の御代の間と推定される)
所在地:茨城県水戸市宮内町3193-2
HP:吉田神社のホームページ
文化財等:

尊が東夷平定の帰途、常陸を過ぎて兵をこの地朝日山に留めて憩わせた故事を以って、この地に神社を創建し尊を奉祀した。尊の御休憩の場所は今日も三角山と称し境内見晴台の一角を占め、神聖な処として伝え残されている。
創建の年紀は詳らかではないが、当社の古文書によれば正安4年(西暦1301年)は、御創建以来800余年に当たるとあるので、これより推定すると、顕宗天皇(485)と仁賢天皇(498)の御代の間に遡るもののようである。
後に後鳥羽天皇は建久4年(1193)国司に勅して社殿を改造せられ12月遷宮式を行い、これより後は鹿島神宮(旧官幣大社)の遷宮についで当社の遷宮が行われるのを例とした。次いで亀山天皇は弘長元年(1261)2月20日本社の神位を従一位より正一位に進め、後陽成天皇の父、誠仁親王は天正4年(1576)に御手ずから第三宮の三字を記され、大宮司田所清恒に賜り当社の扁額とされた。更に後光明天皇の慶安元年(1648)10月には、大将軍源家光が「吉田宮印」の朱印を下され、権中納言源頼房は水戸に封ぜらるるや尊の功烈を慕われ、その子贈大納言源光圀に至っては、尊崇最も敦く旧制に従って本殿(神明造)拝殿・神殿・神楽殿・宝蔵・階・玉垣等を造営し、八乙女・神楽男五人を置き盛大な斎祀を行われた。

※吉田神社のホームページより
※詳しくは吉田神社のホームページをご覧下さい。

・パンフレット

・境内案内図

・一の鳥居

・社標石

・参道、石段

・一の鳥居裏石碑

・御神木 大欅

・石段と二の鳥居

・二の鳥居

・古神札納所

・石碑

・朝日三角山

・朝日三角山標石

・朝日三角山内 日本武尊碑

・朝日三角山内 日本武尊腰掛石

・朝日三角山願掛石

・朝日三角山由緒の碑

・東日本大震災復興記念碑

・参道途中の石灯籠

・三の鳥居前の石灯籠

・三の鳥居

・参集殿

・境内社(オートバイ神社(鐵馬神社))鳥居

・境内社(オートバイ神社(鐵馬神社))

・境内社(オートバイ神社(鐵馬神社))由緒板

・境内社(オートバイ神社(鐵馬神社))前案内板

・車祓所

・御手水舎

・石灯籠、狛犬

・境内社(吉田天満宮)鳥居、参道

・境内社(吉田天満宮)

・方位守護末社<鳳凰>(稲荷様)

・方位守護末社<鳳凰>(星宮神社)

・方位守護末社<鳳凰>(土師神社、稲荷神社)

・方位守護末社<鳳凰>(豊受大神宮、皇大神宮)

・御神馬舎

・随神門

・随神門内右大臣

随神門内左大臣

・御神木「夫婦木」

・御神木「しだれ桜」

・方位守護末社<青龍>(疱瘡守護神社、大國主事代主神社、八幡宮、住吉神社、多賀神社、松尾神社)

・方位守護末社<玄武>(早歳神社、國見神社)

・方位守護末社<白虎>(水戸神社、飯神社)

・縁結びの笹

・拝殿

・本殿

・おみくじかけ

・社務所

・神楽殿

・御朱印

 

08 茨城県,神社

Posted by master