鹿島神宮
名称:鹿島神宮
御祭神:
・日本書紀では武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)※鹿島神宮ではこちら
・古事記では建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)
創建:神武天皇元年(日本書記の記述に基づくと紀元前660年)
所在地:茨城県鹿嶋市宮中 2306-1
HP:鹿島神宮のホームページ
文化財等:
・日本最古最大の直刀 金銅黒漆平文拵・附刀唐櫃(国宝)
・本殿(国指定重要文化財)
・仮殿(国指定重要文化財)
・拝殿(国指定重要文化財)
・幣殿(国指定重要文化財)
・石の間(国指定重要文化財)
・楼門(国指定重要文化財)
・梅竹蒔絵鞍(国指定重要文化財)
・太刀 銘景安(国指定重要文化財)
・古瀬戸狛犬(国指定重要文化財)
・銅印(国指定重要文化財)
・木造狛犬(国指定重要文化財)
・百馬図 雪村筆(国指定重要文化財)
・鹿島洋朝瞰図 横山大観筆(国指定重要文化財)
・黒漆螺鈿蒔絵台(県指定文化財)
など多数所有
境内摂社:
・奥宮(武甕槌大神荒魂)
・高房神社(建葉槌神)
・三笠神社(三笠神)
境外摂社:
・跡宮(武甕槌大神荒魂)
・坂戸神社(天児屋命)
・沼尾神社(経津主神)
・息栖神社(岐神、天鳥船命、住吉三神)
境内末社:
・須賀社(素戔嗚命)
・津東西社(高龗神・闇龗神)
・祝詞社(太玉命)
・熊野社(伊弉諾命・事解男命・早玉男命)
・稲荷社(保食神)
・熱田社(素戔嗚命・稲田姫命)
・御厨社(御食津神)
・大黒社(大国主命)
境外末社:
・年社(大年神)
・潮社(高倉下神)
・阿津社(活津彦根)
・国主社(大国主命)
・海辺社(蛭子命)
・押手社(押手神)
・鷲宮(天日鷲命)
※摂社・末社:
当該社の后神・御子神、又は荒御魂を奉る社等を摂社と言い。それに次ぐ社を末社と言う
当該社の境内の中にあるものを「境内摂社・境内末社」、境内の外にあるものを「境外摂社・境外末社」
太古の昔、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、葦原中国(あしはらのなかつくに・ 現在の日本)は自分の息子が治めるべきだと考え、荒ぶる神々が争い乱れていたため、八百万神(やおよろずのかみ)に相談し天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、天穂日命は大国主神の家来になってしまいました。次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、天稚彦もまた大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として自ずから国を乗っ取ろうとし、天照大神の元に戻りませんでした。
このようなことが二度つづいたので、天照大神が八百万神にもう一度慎重に相談すると、神々が口を揃えて、経津主神(ふつぬしのかみ)こそふさわしいと言いました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ・鹿島神宮の御祭神)も名乗り出て、二神は共に出雲に派遣されることとなり、出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲り、二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、天照大神の元へ復命され、武甕槌大神は鹿島神宮の御祭神、経津主大神は香取神宮の御祭神となりました。。
詳しくはホームページをご覧下さい。
・大鳥居
・境内案内図
・参道
・手水舎
・楼門
・拝殿
・本殿・御神木
・奥参道入口
・奥参道
・神鹿
・奥宮
・要石
・御手洗池
・大黒社(境内末社)
・裏大鳥居
・鹿島神宮園地御手洗公園
・裏大鳥居から敷地内に入り本殿等に向かう長い上り坂
・熱田社(境内末社)
・さざれ石
・高房神社(境内摂社)
・仮殿
・摂社・末社群入口
・熊野社(境内末社)
・祝詩社(境内末社)
・津東西社(境内末社)
・坂戸社・沼尾社(境外摂社)
・須賀社(境内末社)
・鹿島神宮御朱印
・奥宮御朱印